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嘘じゃねえの?不老不死の話
不老不死は人間の最大の夢であるが、それだけに不死に関する逸話は数限りない。 不死ということですぐに思い出すのは、十七世紀をはさんで二世紀近くヨ−ロッパで 活躍したというサンジェルマン伯爵である。
サンジェルマン伯爵は年令不詳であり、公私にわたる記録によれば八十才半ばであり
ながら、見た目には四十代にみえ、宮廷に出入りし、裕福で、錬金術や化学に詳しく、
さらには十数か国語に通じ、ピアノ、絵画もプロ並みの腕を持っていたという驚くべき
人物であるが、特に有名なのは当時の人々からは伯爵が不老不死の薬(エリキサ)を所
持していると信じられていたことである。ヴォルテ−ルをして「決して死なず、すべてを知っている人」と評された人物であっ たが、とにかく彼を取りまくこのような一流の文化人らの証言や記録からみても、不死 の鍵を握る謎の人物としての資格は充分に備わっていた。 不老術といえば旧約聖書でも有名な、紀元前一千年のイスラエルのダビデ王が実践し たというゲロコミ−という秘術がある。 このダビデ王の不老術は処女回春術というもので、若い女性たちを侍らせて快眠を取 る方法といわれた。 面白いことにこの不老術は日本にも伝わっていたらしく、徳川家康を始めとして代々 徳川家の秘伝として大奥内に存在していた。 命のやり取りの戦国時代であろうと延命長寿は一つの政略手段であり、しかも嗣子を多く残すことが 家名存続の必須条件であった。 事実徳川家康は十八人、十一代家斉に至っては五十五人もの子沢山であった。 このように徳川家としては、時代が下がるにしたがって将軍の長寿も大事であるが、 それよりも幕藩体制を維持存続させるためには確固たるも基盤づくりが一番と、多数の 嗣子づくりに方向転換したようである。 これによって政略結婚をすすめ各大名との縁戚関係を広げていったわけだが、延命不 老術は主君の健康術というよりすっかり政略術の様相を呈してしまう。 ところがどうしたことか、この秘伝の不老術が江戸時代に市井にも流布していた形跡 があるから実に面白い。 この秘伝のゲロコミ−はいわゆる房中術と一脈通じる部分もあるが、明かに別系統の 流れであったと思われる所がある。 さらに明治の維新後は伊藤博文・西園寺公望らがこの不老術を用いたというが、概し て偽政者,政治家に信奉者が多いというのは、それだけ権力の座にしがみつこうとする 執念や指向があからさまに窺えて興味深いことである。 このゲロコミ−は現代医学的に言えば、情動の刺激変化が間脳や脳下垂体,副腎皮質, 性腺のホルモン分泌を促し、さらに全身の新陳代謝を高めるという効能があるというと ころであろうか。 確かゴキブリのような昆虫でも、雌雄で仲間を作ってやった方がフェロモンの働きで羽根の艶がよくなり、 著しく寿命が延びるとの研究報告がある。 徳川家の不老術で思い出したが、歴史上忘れてならない事例がもう一つあった。 室町末期のあの下克上の乱世の時代に松永弾正久秀という一国一城の主がいた。 大和、信貴山の多聞城の城主であった松永弾正は悪逆非道で乱世に知られていたが、 ついにその上をいく織田信長に攻められ、命運尽きて滅ぼされてしまった。 お灸で長寿をというと、過去に大した実践者がいないように思う人があるやもしれな いが、なんとこの弾正、その落城の日も信長の軍勢を横目に延命長寿( 中風予防)の三里の灸をすえて泰然としていたという。 一説によると松永弾正は若い時に、最新の中国医学を学んで帰国した田代三喜につい て医術を学んだことがあり、それで大陸渡りの毒薬に精通しており、暗殺にも毒薬をた びたび活用したという。 真偽のほどはわからないが、松永弾正が延命長寿の三里の灸をすえていたことと考え 合わせると、何となく頷ける話ではないか。 有名な茶釜と共に木っ端微塵に吹き飛んだりせずに松永弾正が乱世をしぶとく生き延びて、 後世延命灸の実践者としてその効能を明確に残してく れていれば、お灸のイメ−ジがさらに上がっていたかどうかそれはわからない。 後宮三千人の秦の始皇帝にしても、暴君ネロや豊臣秀吉の精力剤あさりにしても、行 き着くところは無尽の精力と不老不死へのあこがれであった。 紀元前三世紀に方士徐福は始皇帝の命を受け、不老不死の霊薬を求めて大船団を組み 蓬莱(日本)までやって来た。不老不死を求めて人間はこれまで幾多の歴史を刻んできたというべきか。 (1998/12/17) |
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